哀しきかなチブル(ユウガオ…カンピョウの元) 仲西美佐子
新聞で「チブルの中毒」が報道されてから、店頭にチブルを並べるのをやめる店が増えたように思います。チブルが店頭から消えて食卓に上ることが少なくなり、栽培そのものがされなくなるのではと心配です。郷土の特色をもつ伝統野菜の復活が叫ばれる中での出来事にショックです。
食物の多くが自らを守るために、毒を持っていたものが多かったと思います。豆、ターンム、チンヌク、ヤマン、タビオカなど……。私たちの祖先は、そのような毒を持つ植物を長い年月をかけて改良し、毒を抜いて食べられるようにしてきたのだと思います。それでも毒を持つ食物がまだ栽培されています。今でも水にさらして毒抜きをするタビオカ、ターンムを発酵させて毒抜きをするところもあります。シュウサンの多いほうれん草は、近頃まで連続で食べることができませんでした、等々。
日本人はシイの実などの採集生活から、アク抜きという方法を開発し、ドングリなどを食料に加えて、食に広がりをもってきたのだと言われています。日本文化の特徴の土器創造へ駆り立てた原点も、アク抜きなどの調理にあるのではないでしょうか。「調理」って動植物を食べられるようにし、食べやすくし、さらに美味しく食べるための方法だと思います。人間は焼く・煮る・蒸す・ゆでる・さらす・灰汁や米のとぎ汁でのアク抜きなどの調理という方法で、食物の種類を増やし適応範囲を拡大してきました。
しかし、その一方で近年は生物としての生きる力は、失われてきているのではと思います。私たちは「これが食べられるか・この状態は食べられるか・食べられないか」などを見分ける能力がしだいに失われつつあるように思います。それは、生きる力の食について重要だとの認識に欠けているからだ、と思います。
ラベルの見方は家庭や学校でも教えているようですが、偽装表示もありますので五感を養う努力もしてほしいです。鮮度や発酵・腐敗のこと。形・色・つや・においでの判断の仕方。農産物や海産物などの食材の基礎知識を、どこで教えているのでしょうか。
このような時代ですから、自分では判断できず、他人任せの賞味期限に依存する人が増えているのだと思います。「苦味のあるチブルは食べられない」という簡単な知恵と舌の感覚さえ持ち合わせていない人たちのために、チブルが消えるのかと思うと哀しいです。チブルは食べ尽されないための(種を守る)大切な能力ともいえる敵を殺す毒が、先祖帰りとして出るのほどに生命力が今でもあるのでしょう。そんなチブルが食卓から消えると、このチブルを食べ物にする努力をしてきた祖先に、どんな言い訳をすればいいのでしょう。
ちなみに今のチブルは小家族には大き過ぎます。外側をヤマトの知恵でかんぴょうを作り(チブルの皮をピィーラーで剥ぎ捨て、更に一枚一枚削って水切りし干す)、中の軟らかい種の近くを沖縄風炒め煮や洋風クリーム煮などの料理をするのはどうでしょう。